November 30, 2008

村井哲也『戦後政治体制の起源』(藤原書店、2008年)

■村井哲也『戦後政治体制の起源』(藤原書店、2008年)

村井哲也氏の学位論文が遂に本になった。先日、ようやく一読する機会を得た。

近年、これだけの労作はめったにない。それが第一の読後感である。

この本は、素直に読めば、日本政治の戦前・戦後の連絡と非連続を「官邸主導」という切り口で描いた本、と評価することが出来るのだろう。しかし、よりしっくりするのは、戦前から続く「総合官庁」の政治史という切り口で評価することだ。副題が「吉田茂の官邸主導」であるが、吉田は後半部分の登場人物であり、前半は「総合官庁」をめぐる政治力学の話である。これだけ資料の密度が高く、その新鮮さも群を抜いている本はめったにない。日本政治がどのように内閣のリーダーシップを発揮しようとしてきたのかと言う点について研究しようとする際、これからもずっと参照される本になるだろう。つまり、この本の描く政治の歴史は、現代にも直結しているのである。恐らくその意味でこの本は現代日本政治に関心のある方にも読まれることになるのではないだろうか。

ところで、村井氏の結論では、吉田茂が官邸主導を確立したことになるのだろうが、吉田は村井氏の言う「官邸主導」なるものを何とか完成させたにすぎない。その後継者はその後あらわれなかったと村井氏は言うが、朝飯会という全く非公式な手法でリーダーシップを発揮しようとする吉田の手法はどうみても特異な手法である。これは吉田独自の手法と言ってよい。後継者が現れなかったのも無理はない。しかし、それだけ日本政治におけるリーダーシップと言う問題は根の深い問題なのである。官邸主導型のリーダーシップが無条件によいわけではないだろうが、そのリーダーシップは非公式の制度に支えられなければならなかった。制度と非制度、あるいは制度と人と言う問題は、第二の読後感として極めて鮮やかに残る。

また、もう一つの読後感は、官邸主導以外に日本には確固としたリーダーシップが存在したのか(あるいはするのか)と言うことである。これはなかなか難しい問題である。日本政治にはリーダーシップがなかった、と言えなくもない、と僕は考えている。そうすると村井氏の議論に対する反論ともなるのだろうか。いや、僕の研究した人物も、個人のパーソナリティーが多分にあって、何とかある種のリーダーシップを確保したのだ、と言えなくもないのである。更に言えば、五五年体制下のリーダーシップは、また戦前・占領期の、また吉田のリーダーシップの形とは異なるものになるはずである。この問題については、いずれ書く僕の本でじっくり考えてみたい。

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November 24, 2008

テロではなかったようだが、、、、

今日も、大学で仕事があった。こう毎日仕事仕事で忙しくて、、、、と書いていると、なんだか本当に個人的な日記を皆に見せているような気になるが、本当に仕事ばかりである。

僕にとって、「仕事」とは本の数ヶ月前までは「研究」のことだった。でも今は「大学での仕事」というカテゴリーに多くの時間を喰われている。やるせないが、昨今の大学事情を見ればそれもいたし方ない。

最近も、K大学、R大学、K大学の財政問題が新聞に載ったが、いずれもこの金融危機でひどい状態である。我が大学はそれほどでもないようだが、遠からず比較的大きな大学のいくつかが潰れることになるだろう。国際社会や日本社会が劇的な変化に直面して居る現在、大学だけが「栄光ある孤立」を保てるはずはない。それにしても、大学人がゆっくりじっくり新しい学問を作っていくだけの時間が失われていることは確かである。

ところで、元厚生次官の殺傷事件であるが、テロではなかったようだ。忙しくて、毎朝の新聞しか見ていないのだが、社会テロという最悪の筋道を想定していた僕は、ある意味で安心した。

それにしても、この事件、動機と結果が上手く結びつかない。陰謀史観は実証的な歴史研究者の敵であるが、何かの隠匿工作があるのではないか、別の動機があるのではないか、と思ってみると、少しは納得できる気がする。

あるいは、大学人は、大学経営ばかりに気をとられ、こういう人物が潜在的にたくさん存在していると言う日本社会の現実に触れられないでいるのだけなのか。日本社会はおかしくなっているのか。あるいは大学人が余りにも世間の変化に疎いのか。よく分からない。

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November 23, 2008

2025年の世界と日本

11月末の連休も、大学の仕事が目白押しである。今日はたまたまお休みをもらえたので午前中は家にいるが、この後、次の原稿の準備のために、もう使い終わった本を研究室に運びこんで、新しい本をごっそり持ってこなければならない。

ところで、朝、新聞を読んでいたら、アメリカの国家情報会議(NIC)の2025年の情勢判断が公表されたとの記事が出ていた。

この報告書によれば、2025年までに、アメリカの覇権国としての地位は衰えると予測する一方で、中国やインドが著しく台頭し、米中印の3国が並び立つ時代の到来が予測されるのだという。多極化の時代の到来である。日本については「米中両大国の板挟み」になり、大幅な外交戦略の見直しを迫られるなど、埋没感が強まる可能性が指摘されている。

つまり、今後の20年間は「新秩序への移行期間」であるというのがこの報告書の予測である。アメリカの覇権の衰退は勿論、国際社会全体がこの20年間は一種の危険に満ちているとするのである。

この報告書の描く世界は、現在との連続性よりも断絶の方が大きい。第2次大戦後に続いた米国中心の世界秩序は崩壊し、国際情勢が不安定化し、アメリカは相対的な優位を維持するものの、 中国とインドが多極化時代の新たな大国として、米国と影響力を競い合う存在になる。ロシアはそれら3国と並ぶ勢力を確保できるかどうか不透明であり、日本は現在と同じ「中の上」程度の国際的地位を維持するが「米中の経済力や 戦略の影響を大きく受ける」と予想される。高齢化など人口構成の変化や政治、 経済システムの変化が押し寄せ、自民党1党支配の時代は「完全に終わりを 告げるだろう」とする。

国際秩序が一定の周期で変動すること、その際に嘗ての覇権国がその地位を奪われること。それは 歴史上幾度も繰り返されてきたことである。日本政治の形もそれに伴い、変化は避けられない。

僕がこの報告書を読んで、面白いと感じたことは二つある。

一つは、今後15年で躍進するとされる国は、いずれも人口の多い国であることである。「生めよ増やせよ」は立派な国策なのだが、今の日本では爆発的な出生率の増加は望めない。しかも、インドも中国も国家が介入する資本主義国である(その別名は「社会主義」)。こういう国の台頭があっても、日本は、世界四位の地位を保てるそうだから、たいしたものである。

もう一つは、世界が多極化すると同時に、日本政治も多極化するという認識があることだ。アメリカの情報筋にも、日本の国内政治は国際政治を反映しているという発想が、意識的無意識的にあると見てよいのではないか。

でも、日本政治はどのように多極化するだろうか。嘗ての55年体制が冷戦の国内的反映だったとしても、2025年の日本政治が、国際政治の多極化を反映した多極化を実現するとは限らない。

もし、あと15年後の日本の政党政治なるものが、「国民の利益の反映」で形成されるのだとしたら、もしかして「老人党」とかが出来たりするかも知れない。老人党に対抗して、大正期さながらに「青年党」見たいのが出てくる可能性も充分にある。

果たして、その頃の僕は何をしているだろう。僕は、55歳。子どもも結構大きくなっているころだ。

もしかして「中年党」の党友だったりして(ぷぷ)

と、ここまで書いてきて、なんだかふと現実感がありすぎて怖くなった。ダンボール六個の本を車に運び込まねばならないし、一階からはなんだかものすごい子ども達の騒ぎ声が聞こえてくる。悪い冗談は、このくらいにしてやめてしまおう。

11月は、本当に忙しい月である。

追伸:この後、研究室に行った帰り道、事故に出くわした。人の不幸、ではあるが、連休の真ん中で気が緩んでいたのだろうか。。。。

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November 16, 2008

どこにもいけない週末

今週末こそ釣りに行こうと思っていたのに、なんとなく行きそびれた。資料集の第二巻は今月には間違いなく出るだろうが、その準備は結構大変だった。それに今月末までにもう二つ原稿を書かねばならないのである。来週は週末返上で入試があるし、、、、

今日はもう日曜だから、11月は釣りにいく余裕はもはやないだろう。

でも、昼ごはんを食べたら午後にでも近くの川でハヤでもつってみようかと思っている。

ところで、ここ最近話題になっている田母神論文。僕が購読しているMLでも話題になっている。さっきまですこしまとめて読んで考えてみたのだが、、、、

メディアも政治も何をやっているんだろう。

それが僕の正直な感想だ。

大学の助教の人から現物を貰ったのでさっきやっと読んでみたのだが、学者ではない人が書いたものだから、オリジナルな議論は勿論どこにもなく、どこかで誰かが書いた内容ばかり。内容自体には別に話題性はない。問題は彼の立場にあるのだろう。しかし、実はそれも別に真新しい問題ではない。今までも大臣の発言などが政治問題化したことは度々あったからだ。

そうすると今回の問題の核心はどこにあるのか。

実は、今回の問題は、防衛省が彼を解任できず、政治が参考人招致をテレビ中継しないという愚かな判断をしたことにあるのだと思う。

学生を日々相手にしている立場から言って、今の20代は、分かりやすい善悪二元対立の図式で歴史を理解する一昔前のやり方では、到底納得しない。彼らの歴史認識は一昔前よりも実は数段進んでいるのである。そういう立場から見たとき、かの論文を本能的に「右派」と見て拒絶反応を示すことやそれを政治問題化することだけでは、彼らの関心を引き付けることはできない。かの幕僚長は、一部ではヒーロー視されているようだが、それは彼の態度が、メディアや政治家に比して、いかにも堂々としているからだ。

論文の内容や歴史認識など、実は二の次三の次である。問題は、政治やメディアが根底的に(ラディカルに)物事の本質を抉り出せておらず、行動できていないことにある。

どこにもいけない週末だったが、いろいろ考えることは多いものである。

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November 07, 2008

在外研究の準備③:研究テーマを立てる

■研究テーマを立てる

さて、1年間の研究期間(それ以上の人もいるがここ最近の傾向では大抵は1年間である)というのは実は本当に短いものである。今年も既に残すところ二ヶ月になったが、この一年のことを考えてみてもそうだ。あっという間に一年は過ぎる。

しかも、この数ヶ月の僕は必死に300ページを超える史料集を作り(もうすぐ出ます)、論文を三つ書き(一つは発表済み。あと二つももうすぐ出ます)、報告を一つと講演を一つこなした。これから後一つ論文を書き(多分英訳しなければならない)、小さなエッセイを幾つか(一文字も書いていない)、来年刊行予定の編著(これもすっかり忘れていた)も書かねばならないが、、、、、

残念ながら、海外でこのペースで仕事は出来ない。

研究テーマは一年間で何らかの結果が出るものに絞ること――これは在外研究の秘訣であると同時に、僕のように初めて海外の研究機関に長期滞在する場合にはそうでないと折角の海外滞在を充分に楽しめないだろう。

更に僕の場合は、研究機関のおしまいに報告会が待っている。これが僕が行く大学のVisiting fellowの義務である。Invitationにも「Professor ○○、Head of the department of ○○、will be writng to you shortly to suggest some arrangement for you to contribute the work of the department・・・・・」という一文が書いてあるから、これから何時、こんなテーマで報告をするのはどうか、という提案がもたらされるのだろう。非公式にOKを貰うときにもこのことは条件として聞いていたが、報告会が学部の教員達の研究会になるのか、もう少し広く聴衆を集めるのかどちらかだと言っていた。

しかし。

僕が英語で論文を書くのは学部の卒業論文以来(僕は英文科出身なので)のこと。これではテーマを絞っておき、ついでに半分近くは既に日本で準備しておかないと心配になってくるのも当然である。

他方で、研究テーマは、必ずしも自分の専攻に限らなくてもよいのではないかという意見もある。昔ある外交官にインタビューをしていたときに「君は海外留学の経験はあるのかね」と聞かれて「まだなんです」と答えたらこんなことを言われた。「海外に行ったらその国のことを学んできなさい。日本のことを研究したり、紹介するなんて考える必要はない。自分の知っていることを確認しても勉強にはならない」。僕はこれは名言だと思った。僕がイギリスを選んだのも実はこのことと関係がある。僕はイギリス政治については本当に素人だ。しかし、イギリス政治のしくみや運営や歴史について、広く見聞してくることは確かにこういう良い勉強になるだろう。僕は少しばかり政治思想に関心がある。イギリスの保守思想の研究もかじってみたい。しかも、昨今のサブプライム問題の余波が続いている現在であれば、現代政治を学ぶのも勿論悪くない。

だが、僕は日本政治外交史のアカデミッシャンとして受け入れられたのである。何か専門分野で一つは成果を出さねばならない。そうでなければ、受け入れてくれた先生や大学にも申し訳が立たない。

こう考えるとやはり専門的な研究テーマは絞っていたほうが良いということになる。しかも、そのテーマについて、日本で充分に準備していくことである。

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November 06, 2008

在外研究の準備②:受け入れ先を決める

■受け入れ先を決める

さて、首尾よく在外研究にいけるように所属機関から許可を貰うことが出来たら、今度はその期間自分を受け入れてくれる所属先(受け入れ先)を決めねばならない。この二つは本来は同時進行で進められるべきである。勿論、海外に行きたいから受け入れ先を適当に探すという考えもあるだろう。その考えを否定するつもりは毛頭ないが、寧ろその順序は「逆」であるべきなのかもしれないと思う。もっとも、僕の場合は、正式に制度の適用を受けると決まるのが遅かったので(あるいは僕の認識が遅かったと言うべきかも知れない。このあたり、なかなか上手く言えませんが、、、)、一方で非公式に受け入れを打診しつつ、大学から在外研究の許可が下りるのを待っていたと言う感じである。

さて、受け入れ先を決めるには、幾つかの要素を考慮しなければならない。僕が考えたのは基本的には以下の6つの要素である。

①研究テーマを何にするか

②どの国に行くのか

③どの大学/研究室にいくのか

④自分の経済状況はどの程度か

⑤日本の住居はどうするか

⑥家族はどうするか、

である。僕の場合は、これに

⑦是非ロンドンに住みたいという年来の要望

が加わっているが、①から③までは自分の考えとしてはすんなり決まり、結局⑦の要望も満たされることとなった。大凡、この数字の順序通りに優先順位をつけて受け入れ先を数箇所選び出して、最終的に一箇所に打診したところ結構すんなりとOKを貰えたのである。しかし、僕のように所帯を持っていると、④から⑥までの要素をどのようにクリアするかもかなり難しい問題である。今でも実はいろいろと考えている最中なので、このあたりについてはまた改めて書いてみたい。

ところで、研究面から言って最も重要なのは、③のどの大学・研究室にするかということである。これは基本的には相手方の研究関心と自分の研究テーマが一致するかどうかを重視すべきであると僕は思う。しかし、そこに行きたいといっても本当に自分を受け入れてくれるかどうかがわからない。大学入試のように試験でもあればわかりやすいのだが、別にペーパー試験などはないから、受け入れ先からどのように許可を貰うのか、正直最初の頃は全く分からなかった。僕のリサーチしたところでは、方法は主に三つあるようだった。

①所属する大学の交流校のようなものを選択すること

②誰かに紹介してもらうこと

③ゼロから相手方に「自分を売り込む」こと

勿論、選択する際にできるだけ箔のつく大学を選ぶとか、どうせ自分で研究するのだから所属先なんかどこでもいいとかいう考えもあるが、僕には、どちらの考えもゼロだった。しかし、受け入れ先を選ぶには、特に欧米の社会は恐らく日本以上にコネ社会だと言うことを心しておいた方がよい。③というのはなかなか難しいものである。

日本語のコネという言葉にはそんなにいい響きはないが、「コネ」=信頼しうる紹介者がいること、と言う風に考えてみれば、「コネ」は受け入れ側にとっては「身分証明書」のようなものである。「コネ」は「安心社会」(by山岸敏夫先生)を成立させる決して馬鹿にしてはいけない機能を持つ。外国人を受け入れると言うのであれば、コネが大きくものを言うのは当然ですらある。

では、そういう「身分証明」はどうやって得られるかというと、、、、これが最も難しい問題である。学歴や師弟関係などがものをいう場合も勿論ある。しかし、僕は大切なのはやはり「業績」や「意欲」だろうと考えた。そこで、僕の場合は、一面識もないが「この人!」と思っていた先生に、とある同僚の先生のご尽力でとにかくアプローチするきっかけを作っていただいた。それから彼にメールを書き、自分の研究テーマを伝え、そこで研究したいという意欲とこちらの最低限の条件(研究室が欲しいとかどのようなアドバイスをして欲しいとか)を伝えて結構早くに非公式ではあったがOKを貰った。そして、彼の所属する大学の学部長にCVを送り、最終的には教授会で正式に受け入れを認めてもらったのである。

一面識もない相手方に自分を受け入れてもらうわけだから、相手の立場を想像すれば結構大変だったろうと思う。結局僕は②③の混合型で受け入れ先を決めたことになるのだろうが、やはり、紹介がまずあったという意味では②の側面も強かったと言うべきだ。しかし、最終的には、僕の研究テーマや業績が受け入れてくれる先生の関心とぴったり合ったことが大きな要因だっただろうと想像している。

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November 05, 2008

在外研究の準備①:在外研究の許可を貰う

前のエントリーで書いたように、新しいカテゴリーを作って、来年度の在外研修の準備について、少し同時進行的に書いてみようと思う。準備は始まったばかりであるから、たいしたことは書けないかもしれない。しかし、少なくとも、僕はゼロから積み重ねて渡英の環境を整えてきた。その過程で必ずしも大いに参考になったサイトは多くなかった。立場が違うと経験談も直接の参考にならないことがあるのは当たり前だが、僕のように知識ゼロから準備を始めようとする人の参考になればと思う。

■在外研究の許可を貰う

まず、在外研究に行くには、当たり前のことだが「在外研究の許可」を所属する大学や研究所から貰うことが必要である。

方法は幾つかある。一つは休職して自費で留学すると言う方法であるが、あまり一般的ではない。一般的なのは、サバティカル制度を使うか、在外研究の制度を使うことである。サバティカル制度は、組織への一定の期間の貢献を前提として有給で研究する時間を与えると言う主旨の制度であるから、年齢もそれなりの教員に適応されるのが普通である。これに対し在外研究制度は、一定の在職期間を申請資格として設定している場合もあるが、在職期間とは基本的に関係なく設定されている場合もあるようである。大学に就職してほんの数年で在外研究にいく研究者が多いのはそのためである。

うちの大学の場合は、三年勤めたら申請資格が生じ、五年目から派遣されるという制度である。僕は六年目に在外研究の制度を使って、ロンドンに行くこととなった訳であるが、このあたりは、それぞれの立場によって異なることがあるだろう。

又この間の費用についてであるが、在外研究の制度がある場合は、一般に大学が費用を負担してくれることになるようだ。財団などから助成金を貰うという方法もあるが、うちの場合は貰ったら大学の助成金と相殺するという決まりである。だまって貰ってしまうという方法もあったかもしれないが、勿論僕はそうしなかった。どうせなら、別の機会に助成金はとっておいて、大学の制度は丸ごと使いたい。

さて、前述のように、多くの研究者はサバティカルか在外研究制度を使うだろうが、大学によって、「この期間を使ってちゃんと研究しなさい」という雰囲気がある大学と「今まで働いてくれてありがとう。ちょっと川向こうで骨休めしてきてよ」という雰囲気の強いところとがあるようである。僕も外国に行くということ自体の楽しみは勿論あるが、一番大切なのは研究することである。1年間の海外休暇を貰うという気はさらさらない。

後で述べるが、研究計画も数ヶ月かけて立てたし、受け入れ先の先生などとの相談も既に始めている。「海外に一年か、いいなあ」とよく言われるが、少なくとも僕は研究する気満々で行くのである。例えばイギリスで釣り三昧の生活をしてこようなどとは全く思っていないので念のため(そんな噂もあるようなのであえて否定させていただきます^^)。

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November 04, 2008

楽に長いラインを持ち上げる方法:フライフィッシング・ティップス③

■楽に長いラインを持ち上げる方法 Lift Long Line from the Water in Ease!

キャストするまえにフライを手繰り寄せなければならないとき、その距離が長ければ長いほど、よい位置にまでフライを持ってくるのに時間が掛かり、それだけポイント(in the bucket)にフライを流せる時間は少なくなります。ここでの目的は、フライを出来るだけ早く魚のいる位置(into the hot zone)に持ってくることです。ダブルホールが出来るならば、これはいとも簡単(no-brainer)です。まずは、手首ではなく前腕全体を使ってラインを持ち上げてください。フライまでのラインを持ち上げたら、短く素早いホールを行い、フライをポンと水面から跳ね上げてやってください。そのままバックキャストです。このキャスティングテクニックを使えば、7から10フィートの余りのラインを簡単に水面から持ち上げることが出来ると分かるでしょう。練習すれば、バックキャストだけでシュートすることも出来ますし、フォーワードキャストでホールすれば素早く遠投することも可能です

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November 02, 2008

きつき城下町資料館第29回企画展『無迹庵と重光葵』

11月1日に、大分杵築市にあるきつき城下町資料館の企画展にあわせた講演会に出てきた。タイトルは『無迹庵と重光葵』。昨年憲政記念館で行った展示に続く重光展である。

旧制の杵築中学(現杵築高校)同窓会が中心となった企画で、これからもこのような企画を続けて行きたいとのことである。喜ばしいことだ。重光は杵築中の第三期生であるが、外に堀悌吉、豊田副武なども杵築中の出身である。なかなかの名門だ。

講演のあとには、地元の郷土史家の方々とも知り合えた。お一方は私に論文も下さった。上海事変後の療養中に別府にいた重光の足跡を新聞などで跡付けたもので、参考になる。中央にいるとどうしても幼少期・青年期のことが分からない。郷土で研究を続けられる方の調査に待つ部分も多い。こうして地元で重光に対する関心がもたれるきっかけでも作れれば僕は満足である。

その後、重光の生家(これが「無迹庵」と呼ばれる)をひさしぶりに見学した。初めて勉強部屋や学生時代に勉強していた本を見た。重光葵の甥に当たられる重光さんから「今読んでいるんだよ」と見せられたのが「努力主義」と言う本。スコットランド学派の啓蒙思想家の書いた本のように見えた。確かに重光の人格形成期にぴったり来る本のように思える。

少しずつ、重光の新しいイメージも沸いてくる。遅れている重光の評伝の形も見えてきたような気がした。

ところで、当日、大分市から杵築まで向かう特急に乗り間違った僕は、午前中、中津まで行ってしまった。ソニックの中には杵築に止まらないものがあるなんて知らなかった。おかげで駅のホームから福澤諭吉の銅像も見れたけれど、開催者をやきもきさせてしまった。うっかりもほどほどにしないといけない。

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October 29, 2008

「もう少し結び目を太く!」:フライフィッシングのティップス②

随分時間がたってしまいましたが、オービスのフライフィッシング・ティップスの第二回目の記事を紹介します。フライをやらない人にはどうでもいい記事でしょうが、、、、英語の練習にもなりますのでご海容を。ま、僕のブログだから自由に書かせてもらいますです^^書き手は勿論、ダン・ガルシアです。

■Take More Turns!もう少し、結び目を太く!

もし、あなたがクリンチノットでフライを結んでいるのならば、そして5X、6X、7Xのティペットで5回だけしか巻いていないのだったら、それではフックを固定しないでしょう。5回巻きは4Xであれば充分でしょう。しかし、それより細いものであれば、フックのアイをティペットで固定するための充分な太さの結び目(the tag end of the material)を作れないのです。結果は、隠そうとしても隠せない(telltale)縮れた無様な結び目ができるだけです。5X以下でしっかりとした結び目を固定するには、ティペットサイズに2を足した回数で結び目を作ることです。5Xならば2を足して7回、6Xならば2を足して8回、7Xならば2を足して9回です。結び目を固定する前に、結び目を滑らかにし、そうしてからきゅっと締めることを忘れずに。

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