村井哲也『戦後政治体制の起源』(藤原書店、2008年)
■村井哲也『戦後政治体制の起源』(藤原書店、2008年)
村井哲也氏の学位論文が遂に本になった。先日、ようやく一読する機会を得た。
近年、これだけの労作はめったにない。それが第一の読後感である。
この本は、素直に読めば、日本政治の戦前・戦後の連絡と非連続を「官邸主導」という切り口で描いた本、と評価することが出来るのだろう。しかし、よりしっくりするのは、戦前から続く「総合官庁」の政治史という切り口で評価することだ。副題が「吉田茂の官邸主導」であるが、吉田は後半部分の登場人物であり、前半は「総合官庁」をめぐる政治力学の話である。これだけ資料の密度が高く、その新鮮さも群を抜いている本はめったにない。日本政治がどのように内閣のリーダーシップを発揮しようとしてきたのかと言う点について研究しようとする際、これからもずっと参照される本になるだろう。つまり、この本の描く政治の歴史は、現代にも直結しているのである。恐らくその意味でこの本は現代日本政治に関心のある方にも読まれることになるのではないだろうか。
ところで、村井氏の結論では、吉田茂が官邸主導を確立したことになるのだろうが、吉田は村井氏の言う「官邸主導」なるものを何とか完成させたにすぎない。その後継者はその後あらわれなかったと村井氏は言うが、朝飯会という全く非公式な手法でリーダーシップを発揮しようとする吉田の手法はどうみても特異な手法である。これは吉田独自の手法と言ってよい。後継者が現れなかったのも無理はない。しかし、それだけ日本政治におけるリーダーシップと言う問題は根の深い問題なのである。官邸主導型のリーダーシップが無条件によいわけではないだろうが、そのリーダーシップは非公式の制度に支えられなければならなかった。制度と非制度、あるいは制度と人と言う問題は、第二の読後感として極めて鮮やかに残る。
また、もう一つの読後感は、官邸主導以外に日本には確固としたリーダーシップが存在したのか(あるいはするのか)と言うことである。これはなかなか難しい問題である。日本政治にはリーダーシップがなかった、と言えなくもない、と僕は考えている。そうすると村井氏の議論に対する反論ともなるのだろうか。いや、僕の研究した人物も、個人のパーソナリティーが多分にあって、何とかある種のリーダーシップを確保したのだ、と言えなくもないのである。更に言えば、五五年体制下のリーダーシップは、また戦前・占領期の、また吉田のリーダーシップの形とは異なるものになるはずである。この問題については、いずれ書く僕の本でじっくり考えてみたい。

























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